愛されジョーズ

music writer 上野三樹

世界遺産とルーツを辿る旅。その③父のこと編

一緒に暮らしていないとたまに忘れちゃう。でもこうして時々一緒に旅行になんか行くとたちまち思い出す。家族のちょっと変なとこ、めんどくさいとこ(笑)。

さて、広島旅行記最終日、3日目の話。その前に、2日目の夜にこんなことがありました。嚴島神社での坂本真綾さんのライブ取材までにまだ時間があったので、両親と娘が夕食をとる会場に一緒に行くことになった。部屋は3階でレストランはロビー横の1階にあるので、みんなでエレベーターを待ちます。扉が開いて、まずは父が乗り込み、その後で私と娘が乗った。そして母が乗ろうとした時に、父が平然と「閉」のボタンを押して、母の唖然とした顔を残してエレベーターは1階へ。私は「ちょっとお父さん……!」と言ったのだけど、父は1階に着くなりひとりでスルリとエレベーターを降りて私と娘が唖然としている間にエレベーターのドアは再び閉まり、また3階まで上がると再び唖然とした顔の母と合流。父はこんな時、何も考えていない。何の思考も持たないからこそ、こんなゼンマイ仕掛けのコメディアンみたいな動きが出来るのだ。そんな彼の行動は常に周りの家族全員を巻き込む。いや、家族だけじゃない。

ライブ取材を終えて、旅館に着いた時に、ふと売店のアイスクリームが目に止まり、買おうかなと思っているところに大浴場から出てきた父の姿が見えた。しばらくアイス選びに迷った後、うろついている父に「父さんもアイス食べる?」と聞いたら「ああ、お前か。今、ここは何階か聞こうと思っとった」と。娘の姿ぐらいわからんものか(苦笑)。しかも父さん、ここはどう考えても1階だ。誰にでも遠慮なく話しかける彼は、誰とでも仲良くなる性質もあるらしく、煙草を吸うだのトイレに行くだの言ってすぐに集団行動からいなくなり、次に見つけた時には色んな場所で見知らぬ人と親しげに話し込んでいたりする。宮島でも外国人の絵描きと仲良くなったとかで、絵をもらったと部屋にペラッと置いていたりする。描かれた風景は宮島ではなく明らかに……モン・サン=ミッシェル!?後で知ったのですが宮島とモン・サン=ミッシェルは観光友好都市で、だからフランス人の観光客もいっぱい訪れるそうなのです。まあ、それはいいとして父が貰った絵はお洒落だけど和室の部屋の中でなかなか胡散臭い雰囲気を醸し出していました。

「お父さんといると、いつもこんなよ。何でこんなことが起こるんだろうってことばっかり!」と母。しかも「旅ならではのハプニング」とか、そういうものとは別次元のね(笑)。

前置きが長くなりましたがそんなこんなで広島旅行3日目は、宮島から広島市内へと戻り、父の生誕の地を訪れるという最後のミッションが残っています。広島生活も長かった旦那の母上(義母)が案内してくれるということで、路面電車に揺られること数十分。この日は、とうかさんと、カープの試合と、更にNEWSのコンサートが行われるということで広島は大混雑。しかし「舟入幸町」という場所で降りると、とても静かな住宅地が広がっていました。彼の被爆手帳には「被爆の場所」という項目があり、そこに記されていたのが「広島市舟入幸町」。下には「爆心地から1.5キロメートル」と書かれてありました。爆心地、めちゃくちゃ近いです。私、以前にも被爆手帳を見せてもらったことがあって、「こんな近くで被爆して助かるわけないじゃん」と思いました。それでまだお婆ちゃんが生きていた頃、「原爆が落ちた時どうしたと?」と聞きました。そしたらお婆ちゃんはお腹のあたりで抱いた赤ちゃんに覆いかぶさるような姿勢をして「こうしとったけん、助かったと」と笑って言いました。お婆ちゃんはそれ意外、原爆のことは何も語りませんでした。それから、どうしていたのかも。

父の記憶ではその後すぐ、鹿児島に疎開したのだとか。そしてお婆ちゃんは「原爆が落ちた時、家の中にいたはずなんだけど気付いたら川にいた」と話していたそうです。当時、暮らしていた家のあたりは今、大きな病院になっているとかで「舟入幸町」を降りてから少し歩いて探してみることに。すぐさま、この辺りで暮らしてると思われるお婆さんに、義母が話しかけて聞いてくれていました。こんな時の義母はテキパキとしていて素敵です。教えてもらった通りに少し歩くと、大きな病院がありました。緊急病院でもあるようで日曜日でしたがあいていて、玄関口から多くの人が診察を待っているのが見えました。そして病院の長い玄関口を横切って、少し斜面を登ると、そこには大きな川が流れていました。太田川です。私は、お婆ちゃんが被爆した時、熱くて痛くて無我夢中に走って走って、いつの間にか川にいたのだと思っていましたが、思っていた以上に川は住んでいた家のすぐ近くにありました。それが私は何だかホッとしました。空はとても青くて、川は穏やかで、ちょうどいい風に吹かれながら、両親と義母と私で少し話をしたり写真を撮ったりしました。娘はベビーカーですっかりお昼寝をしていました。義母は川の向こう側に息子が通っていた高校があると言いました。何だかそれも不思議な縁だなあと思いました。ここで生まれて、奇跡的に助かった命が、こうして受け継がれていくんだなと思ったし、初日では自分がいずれ入るであろうお墓にも初めて訪れましたし、ひょんなことから(仕事で来たんですけどね!)意義深い旅になりました。でも、ここで「めでたしめでたし!」で終わらないのが俺たちの旅、なんだよなあ〜!(まだつづくんかい!)

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