愛されジョーズ

music writer 上野三樹

映画『花束みたいな恋をした』にある本当のしんどさのこと。

昨年から公開を楽しみにしていた映画『花束みたいな恋をした』を観てきました。脚本家・坂元裕二さんのオリジナル脚本による恋愛映画で、菅田将暉さん演じる山音麦と、有村架純さん演じる八谷絹が恋をした5年間が描かれている。明大前の改札口で始まったふたりの恋の、とても美しい透明感とリアリティのある濃厚さ、そして残酷なまでのドライさまで全部がギューッと凝縮されたような、見事な124分でした。映画館を出て家に帰ってパンフレットをめくりながら、また泣いてしまうほどの余韻。それが結構、長く続いて、ああこれは余韻というか、ショックを受けているのだと気づいた。

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坂元裕二さんの脚本によるドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』が大好きでした。このドラマは有村架純さんと高良健吾さんが演じるラブストーリーで、主人公ふたりの名前が音と練という、一文字ずつなのも、映画『花束みたいな恋をした』にどこか似ている。あと、ファミレスのシーンが超重要な役割を果たしているところも。調べたら2016年に放送された作品だったけれど、私の中ではそれ以降の日本のドラマでこの作品を超えるほど好きなものはないというくらい。全ての登場人物が愛おしく切なく絡まり合って、忘れられない。このドラマの好きなところを書き始めると(音が練のじいちゃんが生きてた時の買い物のレシートを読み上げるシーンの素晴らしさとか)長くなるのでやめておく。

映画『花束みたいな恋をした』が公開されて、すぐに観に行けたわけではない。昨年からチラホラ見かけた前評判も、あまり読まないようにしていた。それでも、とても良い作品なんだということと、同時にしんどい作品なんだろうということは伝わってきた。だって、観る前からわかる、タイトル『花束みたいな恋をした』って、過去形だもん。『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』のと同じく、終わりがくるとわかってて、見始めなきゃならんのです。

映画を観終わって気づいたのは、この作品にある、本当のしんどさでした。例えば、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の登場人物たちには、生い立ちだったり生きている環境が、あらかじめ厳しいというしんどさがあった。恋が上手く行かないのは、その環境や時代のせいにもしてしまえる、しんどさだった。そういえば、今、放送されているドラマも、登場人物たちがどれだけしんどい事情を抱えているかを次々と披露していくような内容のものが多いのは時代のせいでしょうか。『朝顔』は育児と夫の単身赴任と父親の認知症と入院中のじいちゃんと、ハードな仕事とのしんどさミルフィーユ状態。『にじいろカルテ』もそうだよね、村人たちのしんどさのど自慢大会みたいなもんだもん。

ただ、麦と絹の物語には、そうした要素は一切描かれていなかった(そりゃあ麦がイラストレーターとして上手く行かなかったとか、絹が就活で苦しんだとか、多少はあったけど)。もっと大変なことが起こるかと思いきや、特にないの。そこが、この映画で描かれた本当のしんどさだと思った。ふたりの恋が、少しずつイビツな形になって、いつしかきらめきを失ってしまったのは、周りの誰かのせいにも、時代のせいにもできなかった。君と僕、がここにいることそのものがお互いにとって苦しいものになってしまう。それって何よりもしんどいでしょう。

あんなに目を輝かせて語り合った、彼らが好きな音楽やカルチャーは、その苦しさを乗り超えるものにならなかったのか、とも思うし、まあそんなもんか、とも思う。ただ、社会に出て、それなりにやりがいを見つけて働きながらも疲弊して家ではパズドラしかやる気がしなくなってしまった人って、この日本にたくさんたくさんいるのは事実だろうし、やっぱり悲しい。最後のファミレスのシーンで「またそうやってハードルを下げるの?」って突きつけられたセリフも、恋愛と結婚の線引きにおいて、リアルすぎて、この辺も衝撃が後から後からきます。何より、案外ドライな「その後」が、彼らの頼もしさでもあり、ホロ苦い後味として感じました。恋なんて、またいくらでもできるもんなあ。それがどんなに尊くて美しいものだったとしても。

 


『花束みたいな恋をした』本編映像【2人だけの新生活編】