愛されジョーズ

music writer 上野三樹

世界遺産とルーツを辿る旅。その④帰れない編

世界遺産とルーツを辿る旅」シリーズも長くなってきましたので、皆さん飽きてきてる頃だと思いますが、最後に自戒を込めて書いておかなきゃいけないことがあります。

事件が発覚したのが広島旅行3日目、最終日のお昼。みんなで広島駅で軽くランチしてから、父の生誕の地へ向かおうと集合した時のこと。両親がお手洗いに行くというので待っていたら旦那からLINEが。「こちらは今から出ます。鍵あるよね?」と。旦那は広島から帰る私たちとは入れ違いに、この日は福岡出張でゆずの福岡ヤフオク!ドーム公演を観て一泊するスケジュールになっていました。旦那いわく、出発前に犬の散歩をしながら悪い予感がしたそうです。私はカバンやリュックの中を探しながらも「鍵あるよね?」の文字を見た時から「やっちゃったなー!」と思っていました。

家の鍵は自転車の鍵と一緒にピンクの小さなキーケースに入れてあるのですが、この旅で一回もキーケース、見てない。持ってきてない。だって家を出るとき、自転車使わずタクシーだったから鍵いらなかったし、旦那が見送ってくれたから鍵いらなかったし。失くしたのではなく持ってきてないことは瞬時にわかりました。めちゃくちゃショック。どうしよう。そのLINEもすぐ見れてれば良かったのだけど既に20分くらい経ってて、旦那に慌てて電話をすると既に電車の中。羽田空港に向けて出発してしまっています。仕方がないので考えて、なるべく迷惑をかけないようにと、鍵は持ってないということと、こう伝えました「品川のホテルで今日は一泊します。明日の朝、(旦那が)帰京したら鍵をもらいに行きます」と。すると返ってきた答えはこうでした。「品川のコインロッカーで鍵を預けられるか見てみます」と。なるほど、コインロッカーに鍵を預けるという方法が残されているのですね。

結果的に品川のコインロッカーはいっぱいだったみたいで、羽田空港のコインロッカーに旦那が家の鍵を入れてくれて、そのコインロッカーがある場所とコインロッカーの番号、更に中身を取り出すときの暗証番号を写真で送ってくれました。手元の鍵でガチャッとするタイプのコインロッカーでなければ、暗証番号さえわかっていれば別の人でも開けられますもんね。これ、ピンチの時に覚えておくといいかもです。

でもよりによって旅行に出かけて、しかも旦那も出張で、そんな時に家の鍵を忘れるとか、あんまりそういうことって重ならないですよね〜。でも私そういうこと、よくあるな。1日で家の鍵をふたつ失くすという信じられない地獄も味わったことあります。ええ、その度に旦那はトラブル対応させられて、娘は付き合わされています。

広島駅で、まだ予定はいっぱいあるのに頭の中が旅行どころじゃなくなっている最中に母がこんなことを言いました。「あなた、お父さんに似てるのよ(笑)」って。違う、違う!父さんみたいに全く何も考えてなくてまるで予定も把握してなくてお母さんに頼りきりな人と一緒にしないで!私はここに来るまでに本当に細かく行程表を作るほど慎重にやってきたのに!と思いつつ、どんなに準備をしても結局、家族を振り回してることには変わりないな。家の鍵だけは忘れちゃいけないよなあ、と反省。

子連れで広島から品川まで4時間近く新幹線に乗って、そこから更に羽田まで行って鍵を取ってから西東京にある自宅まで帰宅するの、正直なかなか心が折れそうでした。飛行機で帰ることも考えたし(着いたらコインロッカーのある羽田だからね)、やっぱり品川あたりのホテルでもう一泊した方が楽かなとか色々と考えました。でもそうすると今度はお留守番している犬が可哀想だし……。考えすぎて、品川から京急線に乗って羽田空港の第2ターミナル(終点)で降りなきゃいけないのにボーッとして降り忘れて、電車がそのまま反対方向へと進み始めた時は泣きそうになりました。このままだと品川に戻ってしまう……!3歳の娘も事態を察したらしく「ママがずっとすわってるからだよ!」と怒られました。第1ターミナル駅で降りて、再び反対方向の第2ターミナル駅行きの電車に乗り換え移動するの、これまた面倒くさいわけですよ。ベビーカーだからいちいちエレベーター使わなきゃだし。ようやく辿り着いた羽田空港、コインロッカーを探して無事に開けて、広い空間の中にぽつんと家の鍵を見つけた時の達成感を無駄に噛み締めました。今年最大級のイベントとしてとても楽しみにしていた広島旅行でしたが凄まじいオチが待っていて、両親や義母にも心配かけちゃって申し訳なかったです。私らしいと言えばそれまでなんだけど……。

ついでなのでもうひとつ書くと。旅から帰った翌日、今度は携帯電話を渋谷の某ビルのトイレに忘れるという事件を重ねてしまいました。その日は取材で、現場に到着してから携帯がないことに気がついて、「某ビルのトイレだ!」と思ったんだけど既にアーティストも到着してて取りに行く時間もなかったのでインタビュー終了後に探しに行ったけど、置き忘れた場所には既になくて。携帯電話をなくすとビルの防災センターとか、交番に遺失物届を出さなきゃいけないのですが、その前に大事なのは自分の携帯番号以外の連絡先(電話番号)がないとやっぱりダメなんですね(当たり前か!)。でも何か気が動転してるとそんなこと頭が回らないですよね〜。

うちは家の電話をもう使ってないし、そもそも自営業だから会社の電話もないし、旦那の携帯番号も覚えてないし、ということで104で旦那の会社の電話番号を調べるところから始まりました。しかも公衆電話から104の番号案内にかけると「では今から番号をご案内しますが、100円玉を入れていただいていますか?」と言われます。残り数十円とかしかなかった場合、かけ直さなきゃいけないのです。いったん電話を切ってコンビニに行って、水でも買ってお金を崩しますよね。100円玉を入れて再び電話で番号案内をお願いして、そこからまた会社で旦那を呼び出して、取材で出てるかと思いきや奇跡的に電話に出てくれたので、「携帯電話をなくしたので番号を教えてください」と言いますよね、もう本当はそんなこと言いたくないですよね。謝罪しかないですよね。鍵に続いて、今度は携帯ですから。教えてもらったその番号を遺失物届けに連絡先として書いて、再び防災センターと交番に届けて、祈るような気持ちで渋谷を後にして帰宅しました。

ちなみに携帯電話会社ごとに自分の電話が今どこにあるか調べてくれる番号というのがあって、それは交番の方が教えてくださったんですけど。そこに電話して調べてみると、めちゃくちゃ早口な機械の音声で「シブヤクドウゲンザカイッチョウメ……(聞き取れない)にあります」みたいなことを言ってたので、これは見つかるんじゃないかな、誰かが旦那に連絡してくれるはず!と思ったんですよね。だって私、ドジはするけど奇跡は起こす!をモットーに生きていますから。嘘です。(小声で)周りの人に迷惑かけてます。

1時間ほどして帰宅してPCを開くと旦那から「携帯を保管してくれてる人から連絡があったので今から取りに行きます」というメールが届いていました。ありがたい……!その日の夜に携帯電話は無事に手元に戻ってきました。某ビル内のショップの店員さんが拾ってくれていたようです。感謝。

というわけで日々、色んな教訓を得て、トラブル回避の技を(主に旦那が)身につけながら生きています。とにかくスマホを紛失した時は、まずコンビニで水を買って100円玉に崩して、それを飲んでいったん落ち着く、というのがいいと思います。最後は失敗談続きですが広島旅行記これにて終了。(完)

 

 

世界遺産とルーツを辿る旅。その③父のこと編

一緒に暮らしていないとたまに忘れちゃう。でもこうして時々一緒に旅行になんか行くとたちまち思い出す。家族のちょっと変なとこ、めんどくさいとこ(笑)。

さて、広島旅行記最終日、3日目の話。その前に、2日目の夜にこんなことがありました。嚴島神社での坂本真綾さんのライブ取材までにまだ時間があったので、両親と娘が夕食をとる会場に一緒に行くことになった。部屋は3階でレストランはロビー横の1階にあるので、みんなでエレベーターを待ちます。扉が開いて、まずは父が乗り込み、その後で私と娘が乗った。そして母が乗ろうとした時に、父が平然と「閉」のボタンを押して、母の唖然とした顔を残してエレベーターは1階へ。私は「ちょっとお父さん……!」と言ったのだけど、父は1階に着くなりひとりでスルリとエレベーターを降りて私と娘が唖然としている間にエレベーターのドアは再び閉まり、また3階まで上がると再び唖然とした顔の母と合流。父はこんな時、何も考えていない。何の思考も持たないからこそ、こんなゼンマイ仕掛けのコメディアンみたいな動きが出来るのだ。そんな彼の行動は常に周りの家族全員を巻き込む。いや、家族だけじゃない。

ライブ取材を終えて、旅館に着いた時に、ふと売店のアイスクリームが目に止まり、買おうかなと思っているところに大浴場から出てきた父の姿が見えた。しばらくアイス選びに迷った後、うろついている父に「父さんもアイス食べる?」と聞いたら「ああ、お前か。今、ここは何階か聞こうと思っとった」と。娘の姿ぐらいわからんものか(苦笑)。しかも父さん、ここはどう考えても1階だ。誰にでも遠慮なく話しかける彼は、誰とでも仲良くなる性質もあるらしく、煙草を吸うだのトイレに行くだの言ってすぐに集団行動からいなくなり、次に見つけた時には色んな場所で見知らぬ人と親しげに話し込んでいたりする。宮島でも外国人の絵描きと仲良くなったとかで、絵をもらったと部屋にペラッと置いていたりする。描かれた風景は宮島ではなく明らかに……モン・サン=ミッシェル!?後で知ったのですが宮島とモン・サン=ミッシェルは観光友好都市で、だからフランス人の観光客もいっぱい訪れるそうなのです。まあ、それはいいとして父が貰った絵はお洒落だけど和室の部屋の中でなかなか胡散臭い雰囲気を醸し出していました。

「お父さんといると、いつもこんなよ。何でこんなことが起こるんだろうってことばっかり!」と母。しかも「旅ならではのハプニング」とか、そういうものとは別次元のね(笑)。

前置きが長くなりましたがそんなこんなで広島旅行3日目は、宮島から広島市内へと戻り、父の生誕の地を訪れるという最後のミッションが残っています。広島生活も長かった旦那の母上(義母)が案内してくれるということで、路面電車に揺られること数十分。この日は、とうかさんと、カープの試合と、更にNEWSのコンサートが行われるということで広島は大混雑。しかし「舟入幸町」という場所で降りると、とても静かな住宅地が広がっていました。彼の被爆手帳には「被爆の場所」という項目があり、そこに記されていたのが「広島市舟入幸町」。下には「爆心地から1.5キロメートル」と書かれてありました。爆心地、めちゃくちゃ近いです。私、以前にも被爆手帳を見せてもらったことがあって、「こんな近くで被爆して助かるわけないじゃん」と思いました。それでまだお婆ちゃんが生きていた頃、「原爆が落ちた時どうしたと?」と聞きました。そしたらお婆ちゃんはお腹のあたりで抱いた赤ちゃんに覆いかぶさるような姿勢をして「こうしとったけん、助かったと」と笑って言いました。お婆ちゃんはそれ意外、原爆のことは何も語りませんでした。それから、どうしていたのかも。

父の記憶ではその後すぐ、鹿児島に疎開したのだとか。そしてお婆ちゃんは「原爆が落ちた時、家の中にいたはずなんだけど気付いたら川にいた」と話していたそうです。当時、暮らしていた家のあたりは今、大きな病院になっているとかで「舟入幸町」を降りてから少し歩いて探してみることに。すぐさま、この辺りで暮らしてると思われるお婆さんに、義母が話しかけて聞いてくれていました。こんな時の義母はテキパキとしていて素敵です。教えてもらった通りに少し歩くと、大きな病院がありました。緊急病院でもあるようで日曜日でしたがあいていて、玄関口から多くの人が診察を待っているのが見えました。そして病院の長い玄関口を横切って、少し斜面を登ると、そこには大きな川が流れていました。太田川です。私は、お婆ちゃんが被爆した時、熱くて痛くて無我夢中に走って走って、いつの間にか川にいたのだと思っていましたが、思っていた以上に川は住んでいた家のすぐ近くにありました。それが私は何だかホッとしました。空はとても青くて、川は穏やかで、ちょうどいい風に吹かれながら、両親と義母と私で少し話をしたり写真を撮ったりしました。娘はベビーカーですっかりお昼寝をしていました。義母は川の向こう側に息子が通っていた高校があると言いました。何だかそれも不思議な縁だなあと思いました。ここで生まれて、奇跡的に助かった命が、こうして受け継がれていくんだなと思ったし、初日では自分がいずれ入るであろうお墓にも初めて訪れましたし、ひょんなことから(仕事で来たんですけどね!)意義深い旅になりました。でも、ここで「めでたしめでたし!」で終わらないのが俺たちの旅、なんだよなあ〜!(まだつづくんかい!)

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世界遺産とルーツを辿る旅。その③いざ宮島へ編

広島のお祭り・とうかさんの狂騒の中、ようやく眠りに着いた次の日の朝。ホテルで娘と朝食バイキング(広島お好み焼きと沖縄そばがあって嬉しかった!)の後、チェックアウト。前日の夜に坂本真綾さんのリハーサルで現地入りしたスタッフの方から「夜は冷えますので厚手の上着を持ってきてくださいね」というメールをいただいていたので、近くのユニクロに朝イチで行こうかなと思っていたけど、母より「上着用意したから」の報せが届く。

博多から新幹線で出発した両親と広島駅で合流し、電車で宮島口を目指す。久しぶりに孫に会えて両親も嬉しそう。電車を降りたら宮島口では更に義母も合流して全員勢ぞろいでフェリーに乗り込みます。と、その前に忘れちゃいけないのが腹ごしらえ。宮島名物と言えば、あなご飯だそうで、行列のできる有名店に一時間前から義母が並んでいてくれて、私たちはほぼ並ばずに入店することができました(ありがとうございます!)。鰻の美味しい店は行ったことありますが穴子の美味しい店は初めてです。タレにあまり頼らない感じのシンプルさと、穴子の香ばしい焼き加減が、忘れられない美味しさでした。

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「うえの」という名の有名店。 

そしていざ、宮島行きのフェリーで出発。宮島までは10分ほどで到着なのですが、だんだん変わってゆく緑の濃い景色、海に浮かぶ朱色の鳥居が見えてくると、やっぱりテンションが上がります。

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宮島に着くと、凄まじく人懐こい野生のシカの歓迎に驚きつつ。宿のチェックインには早いのですが、この日に宿泊する宿の車が迎えに来てくれて宮島水族館へと連れて行ってくれました。大きな荷物だけそのままお宿へ運んでくれて、とっても親切です。宮島水族館は規模としてはこじんまりですがのんびりした雰囲気で子連れには最適。私としても、ばあば×2、じいじ×1が一緒ですのでめっちゃ楽!!まあ、じいじは戦力にあまりならないのですが(笑)。ちなみに、この水族館はチンアナゴとスナメリが人気のようです。すんごい適当に見て回ってたので、ちゃんと見れば良かったですね、はい。わたしは、スナメリというのがどういう動物なのかも知らなかったのです。

そこから少し歩いて、もみじ饅頭のお店へ。岩村もみじ屋さんは店頭で焼き立てホカホカのもみじ饅頭を食べさせてくれるお店です。お土産用も広島駅などには売ってなくて、ここでしか買えないということで余計に美味しいような気がしてきます。冷たいお茶もセルフサービス。娘が張り切って、みんなにお茶を配ってくれました。

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食べ終わり、さあ宿に向かうかという時に、先ほど迎えに来てくれた宿の車がたまたま通りがかり、乗せてくれました。ラッキーです。運転手のおじさんと、うちの父は、既に以前から友達だったかのように親しげに話しています。

玄関入ってすぐのところに、足湯カフェが併設されている小さな宿。お部屋は広めの和室で、大きな窓からは海と厳島神社の鳥居が見える最高の眺めです。夕方になり、じいじとばあばに娘を託して、私はライブ会場である厳島神社に向かったのでした。(つづく)

 

☆ライブレポートはこちらに掲載されています。同じ内容なのですがサイトごとに個性あふれる見出しをつけていただきありがとうございます。

 

www.barks.jp

www.animatetimes.com

natalie.mu

 

世界遺産とルーツを辿る旅。その②岡山&とうかさん編

いよいよやってきた6月2日、世界遺産とルーツを辿る旅への出発です。家を出るのは朝8時半と、いつもの幼稚園への出発時間と同じなので「朝が早い!」という緊張感は特になかったのだけれど、ベビーカー&大荷物&娘を連れて通勤ラッシュの中、品川へ向かうというのがまず最初の大仕事。いつもの最寄り駅からひとつ下りの駅の方が比較的空いているという情報をご近所のママから得て、自宅から駅までまずはタクシーに乗ることにしました。玄関で旦那に見送ってもらい、タクシーに乗り込んでいざ出発というギリギリの時になって娘が「赤ちゃんマンとナガネギマンも一緒に行きたい!」と言い出す。急遽、旦那に電話してアンパンマンのキャラクターをいくつか見繕ってもらい、マンションの下まで持ってきてもらった。(ちなみに、この①タクシーで行ったこと、と②旦那に見送ってもらったこと、が後に大きなミス発覚に繋がるのです……)

割とスムーズに、時間も予想通りに品川駅に到着し新幹線で岡山を目指す。何時発の何便、何号車のどこに乗ったかを義母に伝えておき、義母は新神戸から車内で合流。娘は新神戸到着時、すっかりお昼寝タイムだったので起きたら“ばあば”がいたことにびっくりした様子。後で「何で“ばあば”は新幹線から急に出てきたの〜?」と聞いていました(笑)。

岡山に到着すると、駅前に早速、ももたろうの銅像を発見。キジや猿や犬の他、たっくさんの鳩をお供に連れたももたろうと娘で記念撮影。駅からタクシーで10分ほど走ったところに、旦那の父上のお墓がありました。岡山の町はとてものどかで静かで、誰もいないお寺で義母と手を合わせてきました。お参りが済むと娘は無邪気にお寺の周りで走ったり飛んだりしていたので元気な姿を見てもらえたのなら良かったなと。私たち家族がいつかは還る場所なんだな、いいところだなと思いました。

まだ日差しが強い昼下がり、再び岡山から新幹線に乗り、広島へ。広島までは乗車30分ほどなので、あっという間です。八丁堀にあるホテルにチェックインすると、とうかさんというお祭りがこの日から始まるとのことで、町は既に賑わい始めていました。別名を浴衣祭りと言うそうで、日が落ちる前から浴衣姿の若い女の子たちがいっぱい。中には真っ赤な生地で広島カープの柄の方も。後ろには「ARAI」とユニフォーム風に書かれた粋な浴衣です。これも広島ならではの光景。娘も大好きなスーパーボールすくいなどをしたり、盆踊りのやぐらの周りをお散歩したりして満喫。今日は疲れているので早めに夕食をとってホテルで休もうということになり、お好み焼き「みっちゃん」へ。食後、店を出るとお祭りの賑わいは更なる激しさを増しており、大混雑の中、再びホテルへ。この期間にとうかさんが行われていることは調べて把握していたのですが、まさか予約したホテルが、お祭りの中心地ドンズバなところにあるとは露知らず。18時には夕食を終えて、19時には娘の入浴も済ませて、部屋でのんびりし始めたのですが、その頃、ちょうど祭りが本格的に盛り上がり始める。盆踊り会場があまりにも近すぎて、祭りの音が寝るには適さない音量でホテルの部屋中に響いてきました。しかも、ドドンガドン的な和風のビートならまだ、まだ耐えれるのですが、ドンッドンッドンッドンッ的な4つ打ち系から、サンバですか?トランスですか?って感じのビート、もしかして生でライヴやってます?って感じの臨場感溢れるサウンドまで、見えはしないので確認できないのですがとにかく大騒ぎでした。ホテルに居るのに祭りの渦中。子供がいなければちょっと覗きに行ってやろうとか思うところですが、とにかく耐えるしかないので、あえてテレビの音量を上げて何とか祭りの騒ぎをかき消そうとするぐらいしかできないまま。「いつまで続くんだろう……」という不安が募り続け、ようやくその音が止まったのは21時半でした。京都音楽博覧会でも、音止めもっと早いよ……。皆さん、とうかさんの開催中は広島ワシ◯◯◯ホテルには宿泊しないほうがいいですよ。お祭りを夜遅くまで楽しみたい!というような人はいいんだろうけど。早めに休んで疲れを取る作戦は大失敗でした。(つづく)

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世界遺産とルーツを辿る旅。その①きっかけ編

6月3日に広島・嚴島神社で行われた坂本真綾さんの世界遺産ライブに行ってきました。「ライブレポを書いてくださいませんか?」というお誘いをスタッフの方からいただいたのはすごく早い段階で、確か3月頃のことでした。私は普段は娘がまだ小さいのでライブにはあまりお伺いすることはできないのですが、今回は東京ではない地方開催のライブにお呼ばれしていただいたので、福岡で暮らす両親に相談してみたところ即答で「広島?一緒に行くよ!子守するよ!」と言ってくれたので、思い切って子連れで行くことにしました。そして旦那のお母さんにも「両親と一緒に子連れ出張で広島に行くんですよ」という話をすると「広島?私も行きたい!」ということになり、急遽、私と娘と両親と義母の5人旅になったのでした。

うちの父は広島の生まれで、1945年7月16日に生まれて8月6日に被爆しています。会社を定年退職した今、いつか広島に行って被曝手帳に記されている生誕の地を訪れてみたいと思っていたそうです。一方、義母も広島出身で自身の学生時代などを長く過ごしており宮島口に近い場所にご親戚も住んでらっしゃるし、この際だから岡山で途中下車して旦那の父上のお墓参りもしましょう、とご提案いただきました。旦那の父上は私が結婚した際には既に亡くなられていたのでお会いしたこともなく、娘を連れて初めてのお墓参り。とても良い機会です。

というわけで出張仕事の他に重要ミッション盛りだくさんとなった今回の旅。6月3日は岡山でお墓参り〜広島市内に宿泊。6月4日は広島市内から宮島へ移動してライブ。6月5日は宮島から再び広島市内へ移動して父の生誕の地を訪れる、という2泊3日の行程が組まれました。人数も多いし、しかも割と高齢ぎみな人たちと3歳児もいるので、しっかり計画を立ててみんなで流れを共有せねばと当日までに交通ルートや美味しいお店を調べたり宿を予約したりして行程表を慎重に作成して挑む、世界遺産とルーツを辿る旅が、いよいよ始まりました。(続く)

 

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衝撃の体操参観。

5月はゴールデンウィークで休んだしわ寄せが一気に月末の取材&締め切りラッシュを生むことはいつものことながら。それに加えて何だかんだで幼稚園に呼び出される行事が盛りだくさんの日々でした。炎天下のもとでの避難訓練が終わり、お次は芝生の上で体操参観。娘の幼稚園はスポーツクラブの先生が来てくれる体操の時間が毎週あり、それを1クラスずつの交代で30分ほど親が参観します。

1周50メートルほどある園庭を全力で走ることや、ストレッチはもちろん、背の順に並ぶことや、前にならえをすることも、まだまだ覚えたての年少さんたち。何をするのもとっても楽しそうです。

まずは男の子からトラック1周。それぞれの個性はあるものの、みんな全力で走り、1番になった子は先生に名前を呼ばれて「高い高〜い!」してもらって嬉しそう。そしていざ、女の子の番。親たちは少し離れた場所から各自カメラを構えて見ているのですが、私も同じようにカメラを動画にセッティングしているうちに、「よーい、スタート!」の合図で女の子たちが一斉に走り出しました。娘がどこにいるかわからないまま、走る子供たちをモニター越しに追います。ひとつ、ふたつ、みっつと子供たちがコーナーを曲がり、まだ娘の姿が見つからないので、ゴールの瞬間をしっかり収めようと、そちらにレンズを向けます。ひとり、ふたり、さんにん、とゴールしていきますが、まだまだ娘は走ってきません。あれ、と思った瞬間、「○○ちゃんも、頑張ってるからみんな応援してあげてー!」と体操の先生。見ると、遥か後ろの方から担任の先生に手を引かれながら顔をくしゃくしゃにして泣きながら走る‥‥うちの娘(笑)。どうやら、かなりの序盤、ひとつめのコーナーあたりで既に転んでいたようです。まさに号泣を絵に描いたような姿でなんとかゴールし、1番の子の「高い高〜い!」の後、「じゃあ(娘)ちゃんもがんばったから、高い高〜い!」と、オマケでしてもらい、ベソかきながらも嬉しそう。

男の子の2周目レースが終わり、女の子の2周目レース。今度こそ転ばずに走ってくれー!と願いつつ、もうカメラを構えるのは止めてじっくり見ていたら、走ってはいるものの何だか遅い。まだ半周しか走ってないのに他の子たちがゴールし始めたことに気づくやいなや、クルッと90度体の向きを変え、トラックを半分に横切って走るという手段でゴール!隣のお母さんも「すんごいショートカットしましたね!」とびっくり。そして先生の「1番早かったお友達は誰かな〜?」の問いにドヤ顔で胸張ってアピール。どうやらまた「高い高〜い!」して欲しくて気持ちだけが先走っちゃった様です。

それからストレッチ&壁を使っての逆立ちです。先生が「では最初に、向こうの壁まで先生と行って、『みんな集まれー!』をしてくれるお友達はいるかな?」と言うと1番乗りで「はいっ!はいっ!」と猛烈アピールする女の子。ええ、うちの娘です。「カッコ良く体操座りができてる子にやってもらおうかなー?」と先生が言ってるのに立ち上がり、「はいっ!はいっ!」。先生の真正面まで歩いて進み、「(娘)ちゃん、体操座りカッコ良くできるから!」と更に主張。「えっ、立ってるじゃん(笑)」と戸惑いつつ先生も根負けして⁈「じゃあ、お願いします!」。もうひとりの男の子とふたりで、園庭の壁まで走り、両手を広げて「みんな集まれー‼︎」。するとクラスのみんなが一斉に走り出す。よく見ると、しっかり両手を広げた娘を目がけて、ひとりの男の子がダッシュで走り寄り、そのままギューッとハグ。それを娘は全力で受け止めていました。その後も得意げにストレッチのポーズを決めていた娘でしたが友達とぶつかり再び号泣して担任になぐさめられながら体操参観終了。エモすぎ。

何だか色んな意味で、娘やるなーと、思い知った衝撃の体操参観でした。入園早々に園長先生が娘のことを「とても積極的なので園全体で目立ってます」と言っていたのがよくわかりました。ははは(汗)。

旦那に動画などを見せると「これは俺の血じゃない!俺の血じゃない!」と、のたまう。私の血なのでしょうか⁈ でも、張り切るわりにドジる、というのは身に覚えがあります(笑)。そんなとこ似てもアドバイスできないから!

今日は江古田。

最近は取材と締め切りがみっちり詰まっていて、あっという間の毎日。今日は江古田で月に一度の音大取材。もう東京と近辺の音大はほとんど行き尽くしてるけど、いつも思うのは音大のキャンパスって健全な活気が満ちている感じで清々しい気持ちになります。

今月は、某音楽番組の取材で現役高校生の作曲家でありジャズピアニストの奥田弦さんに会えたり、ずっとお会いしたかったピアニストの反田恭平さんや、これまたずっとお会いしたかったお笑いの横澤夏子さんとか、色んな方に取材させていただきました。

娘もようやく幼稚園に慣れてきて楽しんでいる様子(安定感が増した‥‥!)。延長保育時間も長いので、同じ年少さんの他のクラスの子や、お兄さんお姉さんのお友達もできたみたいで、帰宅途中に私は知らない子が「ばいばーい!」と声をかけてくれたり。顔広いじゃん、と思うこともしばしば。

「いっぱいお友達できたんだね」と娘に言うと、「そう!」と誇らしげに続けた一言。

「全員、家族!!」

いいですね。

人類みな兄弟、みたいなスケール感。