愛されジョーズ

music writer 上野三樹

映画『あのこは貴族』、共感と分断のはざまで。

先週は映画『あのこは貴族』を観て、とても良かったのでパンフレットを買おうとしたら売り切れていたので、まだこの作品の世界に浸っていたくてすぐに原作を一気読みしました。

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東京生まれの箱入り娘・華子は、結婚を焦ってお見合いを重ね、ついにハンサムな弁護士「青木幸一郎」と出会う。一方、地方生まれの上京組・美紀は、猛勉強の末に慶應大学に入るも金欠で中退。現在はIT企業に勤めながら、腐れ縁の「幸一郎」との関係に悩み中。境遇の全く違う二人が、やがて同じ男をきっかけに巡り会いーー。“上流階級”を舞台に、アラサー女子たちの葛藤と解放を描く傑作長編。

これが山内マリコさんの小説『あのこは貴族』の文庫版に書かれているあらすじ。

 
箱入り娘の華子を演じたのは門脇麦さんで、地方出身で東京でもがきながら生きる美紀を演じたのは水原希子さん。この二人と関係を持つ幸一郎役に、高良健吾さん。冗談も嫌味も通じないような純粋な華子が瞳で訴えかけるような演技はクラシカルな音楽と共にスクリーンいっぱいに広がり、美紀を水原希子さんが演じられたことで「あっちの世界」とか「階級」といった隔たりを感じても憎んだり排除するでもなく自分の芯や知性を感じさせる人物像が浮かび上がっていました。そして無意識的に薄情な幸一郎をどこか憎めないキャラにしていたのは高良健吾さんのスマートすぎる王子様的佇まいとふとした仕草に見せるちょっとした子供っぽさ。そしてこの映画でとても重要な役割だったのが、華子の友人でバイオリニストの逸子。この役を石橋静河さんが生き生きと瑞々しく演じられたことで、この作品が今伝えたかったメッセージと斬新さが説得力を持った気がしました。というのも、華子の友達である逸子は、あるきっかけで美紀と幸一郎がただならぬ関係であることを察し、その男こそが華子の婚約者であると気づく。そこで逸子がとった行動が、結構意外な方向性だったんです。なるほど〜と思ったと同時に、私も、ちょっと違うけどこんなことあったなと、思い出すことがありました。

昔、地元のファッションビルでアパレル店員をしてた20歳くらいの頃、店頭で働いていたら、知らない女の子が訪ねて来て「あの〜、ミキさんですよね。私、◯◯の彼女なんですけど」と言う。えーっと、元彼の今カノ、てやつですね。で、何をしにきたか。「◯◯と別れたいと思ってるんですけど、なかなか別れてくれなくて。ミキさんはどうやって別れました?」だって(笑)。別れる方法を聞きにきたんだった。私たちは「被害者の会」とか言ってすぐさま意気投合し、無事にその子が私の元彼と別れた後も仲良くしていた。今でもSNSで彼女の近況を目にすることがある。うんと年下の夫と可愛い子供と地方都市で楽しそうに暮らしている。

『あのこは貴族』の映画紹介で「シスターフッド」と書いてあった。女性同士の連帯を意味する言葉だ。かつての私たちはあの時すぐに打ち解けあったけれど、やっぱり華子と美紀では育ってきた環境も経験してきたことも何もかも違うし、映画の中でも接触はあるものの直接的な連帯というのは描かれていない。

新型コロナウイルスが世界を覆いつくしてしまった時代に「わかるー!」っていう安易な共感とか、もうそんなものは必要なくなっていると思うし、かといって、様々なカテゴライズ(結婚してる/してないとか、子供がいる/いないとか、シングルマザーや専業主婦とか、特に女性たちを分断しようとする隔たりはとても多い)から対立を生むのも絶対に間違ってるでしょ?っていう強いメッセージを原作から迷いなく抽出できたのは、監督・脚本の岨手由貴子さんの手腕もあるのだろう。境遇の違う人同士、どうすれば理解しあえるのか、そもそも理解し合う必要なんてある?そんなモヤモヤした気持ちを美紀が放った言葉が一瞬で晴れやかにしてくれた。

それぞれに住む世界が違う、わかりあえない私たち。でもそれぞれの痛みや葛藤に触れることで相手を攻撃したり排除するのではなく、「別の世界で生きるあのこ」を小さな勇気として心にしまうようにして、互いにまた前に進んでいくような。そんな連帯がこの映画を温かく包み込んでいる。

映画を観てから小説を読むと、文字通り行間が埋まるというか、細かいいきさつや心情を知ることができた。でも描かれなかったシーンやセリフも全て物語ってしまうような、役者さんたちの素晴らしい表情と佇まいを思い出しながら、何度も反芻したくなるような映画でした。雨のシーンも多く、しっとり上品、だけども温かみのある素敵な作品です。

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